私鉄沿線
この前 夏の岐阜旅・・・「郡上踊り」と美濃市の「うだつの上がる商家群街並み散策」行ってきました。その美濃市駅(長良川鉄道)から少し街のほうに歩いていくと3台の電車が展示されていて、プラットホームと駅舎が保存されていました。
ホテルから乗ってきたタクシー運転手さんによると「これはね廃線になった名鉄の美濃駅、野口五郎がこの美濃市の出身で『私鉄沿線』はこの線を唄ったそうだ」と云ました。
たしかに①野口五郎さんは岐阜の出身
②最初のシングルは「博多みれん」という本人は心外だったという演歌曲
③作曲は兄のギタリストで作曲家の佐藤寛
ということは以前より知っていましたが、当該作詞家がこの駅と沿線をモデルに書いただろうか・・・それならば西島三重子の池上線のようになにかしらわかるように歌詞に入れるのではないか・・・・と思いました。やはり、作詞家はあの有名な山上路夫さんなので自分が描く東京近郊の私鉄沿線あるいは全国の一般としての私鉄沿線の通学高校生なり若い男女の思いを詩にしたものではないかと・・・想像します。ウィキ等で確認しますとやはりそのようですね。
しかしながらこの旧美濃駅でたたずんでいるとここが舞台のように錯覚してしまいますね。たくさんの野口五郎さんのレコードポスターに彩られていますから・・・いまは整理する方がいなくなったのかかなり前のブログ写真ではきれいに整理されグッズもたくさん展示されていたようです。時の流れを感じるのも一興ですね。


このときから3日間は「私鉄沿線」の曲が頭の中をぐるぐると離れません。象徴的なイントロ、低いところから語るように入るボーカル。♪好きでした♪のところで跳ねたようなリズムが強調されブリッジに続き♪僕の街で♪と高いところに上がって行って素晴らしいサビとなる名曲ですね。因みにこの曲は【1975年1月に野口五郎がリリースした15枚目のシングル。オリコンチャート上では1974年の「甘い生活」に次ぐ45万枚を超す、野口の2番目のヒット作となった。】そうです。このことも驚きました。私はオレンジの雨とか青いリンゴが最もヒットだと思っていましたので・・・ちなみに私の最も好きな曲は「19:00の街」(筒美京平)、、あと「私鉄沿線」(佐藤寛)と「君が美しすぎて」(馬飼野俊一)「青いリンゴ」(筒美京平)です。ほかも良い曲多数。サビと16ギターカッティングが素敵な「女になって出直せよ」(筒美京平 79年31枚目のシングル)ですね。カッコよいです。
因みに、名鉄美濃駅の保存と展示については
【大正12年10月11日に現在地にて開設。平成11年4月に名鉄美濃町線新関~美濃間が廃止されましたが、当時の駅舎・プラットホーム・路線はそのまま保存。
大正期の貴重な近代遺産で、ホームには美濃町線にゆかりのある「モ512号」「モ601号」「モ593号」の路面電車3両が展示されている。】そうです。
写真はバーズ(英語: The Byrds)のアルバムでヒストリー的に彼らをデビューからヒストリー的にまとめた一種のベストアルバムです
細かく調べますと、バーズは1964年にロサンゼルスでロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビーによって結成され、その後すぐにベーシストのクリス・ヒルマンと、ドラマーのマイケル・クラークが加入したそうです。
バーズはご存知のように、1965年にボブ・ディランの作ったヒット曲「ミスター・タンブリン・マン」でフォークロックの概念を確立したと云われているそうです。しかし一回聴いたら好きになる名曲ですね。私はこのあたりやニールヤングの数々の名曲さらにカントリーロック(ニッティーグリッティーダートバンドやバッファロー・スプリングフィールド、ニュー・ライダーズ・オブ・パープル・セージなどが私の最愛のカントリロックバンドです)などのアメリカンロック・フォークがずっと好きです。私が高校生の時・・・・このころ世の中はブリティッシュハードロックが席巻していまして肩身は狭かった(笑)
さらにバーズはコーラスも素敵で素晴らしいです。ビーチボーイズが好きな私にはぴったりです。
そういえばザ・レッキング・クルーのギタリストであったビル・ピットマンが今年8月11日に亡くなったそうで、享年102歳だった。
ビル・ピットマンは、ザ・レッキング・クルーのメンバーとしてザ・バーズ、ナンシー・シナトラ、ジェームズ・ブラウン、ザ・モンキーズらの音源に参加しているそうです。とくに最もよく知られている仕事としてはザ・ビーチ・ボーイズの“Good
bibrations”、ボブ・ディランの“Mr. Tambourine Man”、ザ・ロネッツの“Be My Baby”、フランク・シナトラの“Strangers In The Night”、バーブラ・ストライサンドの“The Way We Were”といった曲が挙げられる。と記載されていました。
また、ビル・ピットマンはザ・ビーチ・ボーイズが1966年に発表したアルバム『ペット・サウンズ』の冒頭を飾る“Wouldn’t It Be Nice”でアコースティック・ギターを担当しているとも書かれています。偉大なミュージシャンに合掌
Turn! Turn! Turn! My Back Pages You Ain't Goin' Nowhere など素晴らしい曲が並んでいます。やっぱりバーズは素晴らしい。
もう一枚の写真が有名なべストアルバム LPが探すの大変なのでCDで(笑)
ロジャー・マッギンの12弦ギターはと美しいメロディーそして素敵なコーラス・・・堪りませんね。
後の写真はコミックソング おおくぼ良太 「目蒲線物語」 (1983)これが良い曲でにこっと笑えるのが素晴らしい
因みに、目蒲線は、かつて東京都品川区目黒駅と大田区蒲田駅との間を結んでいた東急の鉄道路線ですが、東京急行電鉄の母体でもある目黒蒲田電鉄が最初に開業させた路線だそうで、2000年8月6日に多摩川駅(同日、多摩川園駅から改称)を境に分割され、「目蒲線」という名称は消滅しました。
素敵な哀愁を帯びたメロディーに乗せて
♪ぼくの名前は目蒲線 さみしい電車だ目蒲線
あっても無くてもどうでもいい目蒲線♪作詞おおくぼ良太
いや~すごくシュールというのでしょうか・・・自虐的で最高ですね。ぜひ聴いてください。あとは愛知県一宮出身のつボイ ノリオ(本名:坪井 令夫)さんの代表曲「金太の大冒険」と「一宮の夜」それに「ワッパ人生」どれも素晴らしい良い曲です。大好きです。
サザンのチャコ海と中尾ミエ「夢見るシャンソン人形」桑田さんこの曲好きだったのでしょうね。いかにもなフレンチポップスですよね。私も好きです。
あと左とん平 ヘイユーブルースののB面「東京っていい街だよな」最高の名曲 ほとんどオカズのないドラムとベースがクールでカッコよいです。落涙する。
ホテルから乗ってきたタクシー運転手さんによると「これはね廃線になった名鉄の美濃駅、野口五郎がこの美濃市の出身で『私鉄沿線』はこの線を唄ったそうだ」と云ました。
たしかに①野口五郎さんは岐阜の出身
②最初のシングルは「博多みれん」という本人は心外だったという演歌曲
③作曲は兄のギタリストで作曲家の佐藤寛
ということは以前より知っていましたが、当該作詞家がこの駅と沿線をモデルに書いただろうか・・・それならば西島三重子の池上線のようになにかしらわかるように歌詞に入れるのではないか・・・・と思いました。やはり、作詞家はあの有名な山上路夫さんなので自分が描く東京近郊の私鉄沿線あるいは全国の一般としての私鉄沿線の通学高校生なり若い男女の思いを詩にしたものではないかと・・・想像します。ウィキ等で確認しますとやはりそのようですね。
しかしながらこの旧美濃駅でたたずんでいるとここが舞台のように錯覚してしまいますね。たくさんの野口五郎さんのレコードポスターに彩られていますから・・・いまは整理する方がいなくなったのかかなり前のブログ写真ではきれいに整理されグッズもたくさん展示されていたようです。時の流れを感じるのも一興ですね。


このときから3日間は「私鉄沿線」の曲が頭の中をぐるぐると離れません。象徴的なイントロ、低いところから語るように入るボーカル。♪好きでした♪のところで跳ねたようなリズムが強調されブリッジに続き♪僕の街で♪と高いところに上がって行って素晴らしいサビとなる名曲ですね。因みにこの曲は【1975年1月に野口五郎がリリースした15枚目のシングル。オリコンチャート上では1974年の「甘い生活」に次ぐ45万枚を超す、野口の2番目のヒット作となった。】そうです。このことも驚きました。私はオレンジの雨とか青いリンゴが最もヒットだと思っていましたので・・・ちなみに私の最も好きな曲は「19:00の街」(筒美京平)、、あと「私鉄沿線」(佐藤寛)と「君が美しすぎて」(馬飼野俊一)「青いリンゴ」(筒美京平)です。ほかも良い曲多数。サビと16ギターカッティングが素敵な「女になって出直せよ」(筒美京平 79年31枚目のシングル)ですね。カッコよいです。
因みに、名鉄美濃駅の保存と展示については
【大正12年10月11日に現在地にて開設。平成11年4月に名鉄美濃町線新関~美濃間が廃止されましたが、当時の駅舎・プラットホーム・路線はそのまま保存。
大正期の貴重な近代遺産で、ホームには美濃町線にゆかりのある「モ512号」「モ601号」「モ593号」の路面電車3両が展示されている。】そうです。
写真はバーズ(英語: The Byrds)のアルバムでヒストリー的に彼らをデビューからヒストリー的にまとめた一種のベストアルバムです
細かく調べますと、バーズは1964年にロサンゼルスでロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビーによって結成され、その後すぐにベーシストのクリス・ヒルマンと、ドラマーのマイケル・クラークが加入したそうです。
バーズはご存知のように、1965年にボブ・ディランの作ったヒット曲「ミスター・タンブリン・マン」でフォークロックの概念を確立したと云われているそうです。しかし一回聴いたら好きになる名曲ですね。私はこのあたりやニールヤングの数々の名曲さらにカントリーロック(ニッティーグリッティーダートバンドやバッファロー・スプリングフィールド、ニュー・ライダーズ・オブ・パープル・セージなどが私の最愛のカントリロックバンドです)などのアメリカンロック・フォークがずっと好きです。私が高校生の時・・・・このころ世の中はブリティッシュハードロックが席巻していまして肩身は狭かった(笑)
さらにバーズはコーラスも素敵で素晴らしいです。ビーチボーイズが好きな私にはぴったりです。
そういえばザ・レッキング・クルーのギタリストであったビル・ピットマンが今年8月11日に亡くなったそうで、享年102歳だった。
ビル・ピットマンは、ザ・レッキング・クルーのメンバーとしてザ・バーズ、ナンシー・シナトラ、ジェームズ・ブラウン、ザ・モンキーズらの音源に参加しているそうです。とくに最もよく知られている仕事としてはザ・ビーチ・ボーイズの“Good
bibrations”、ボブ・ディランの“Mr. Tambourine Man”、ザ・ロネッツの“Be My Baby”、フランク・シナトラの“Strangers In The Night”、バーブラ・ストライサンドの“The Way We Were”といった曲が挙げられる。と記載されていました。
また、ビル・ピットマンはザ・ビーチ・ボーイズが1966年に発表したアルバム『ペット・サウンズ』の冒頭を飾る“Wouldn’t It Be Nice”でアコースティック・ギターを担当しているとも書かれています。偉大なミュージシャンに合掌
Turn! Turn! Turn! My Back Pages You Ain't Goin' Nowhere など素晴らしい曲が並んでいます。やっぱりバーズは素晴らしい。
もう一枚の写真が有名なべストアルバム LPが探すの大変なのでCDで(笑)
ロジャー・マッギンの12弦ギターはと美しいメロディーそして素敵なコーラス・・・堪りませんね。
後の写真はコミックソング おおくぼ良太 「目蒲線物語」 (1983)これが良い曲でにこっと笑えるのが素晴らしい
因みに、目蒲線は、かつて東京都品川区目黒駅と大田区蒲田駅との間を結んでいた東急の鉄道路線ですが、東京急行電鉄の母体でもある目黒蒲田電鉄が最初に開業させた路線だそうで、2000年8月6日に多摩川駅(同日、多摩川園駅から改称)を境に分割され、「目蒲線」という名称は消滅しました。
素敵な哀愁を帯びたメロディーに乗せて
♪ぼくの名前は目蒲線 さみしい電車だ目蒲線
あっても無くてもどうでもいい目蒲線♪作詞おおくぼ良太
いや~すごくシュールというのでしょうか・・・自虐的で最高ですね。ぜひ聴いてください。あとは愛知県一宮出身のつボイ ノリオ(本名:坪井 令夫)さんの代表曲「金太の大冒険」と「一宮の夜」それに「ワッパ人生」どれも素晴らしい良い曲です。大好きです。
サザンのチャコ海と中尾ミエ「夢見るシャンソン人形」桑田さんこの曲好きだったのでしょうね。いかにもなフレンチポップスですよね。私も好きです。
あと左とん平 ヘイユーブルースののB面「東京っていい街だよな」最高の名曲 ほとんどオカズのないドラムとベースがクールでカッコよいです。落涙する。
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